1、ポストハーベストってなに? |
ポストハーベスト農薬は日本語にすると「収穫後処理農薬」となり、それに対して普通の農薬は収穫前にまくので「収穫前処理農薬」、英語ではプレハーベスト農薬となります。両者の違いは例えばみかんなら木にぶらさがている時にまくか、木からもぎ取った後にまくかだけということになります。
日本では収穫前にまく薬剤は農薬の範疇に入りますが、収穫後にまくのは食品に添加する薬剤と同じ範疇となり食品添加物(保存料)と同じ扱いとなります。ですから法律的にも異なるし、使用を認可されるための手続きも異なり、日本ではプレとポストは全く別のものとして取り扱われます。しかし、こういう分け方をしているのは日本の法律であって、アメリカなどでは共に
Pesticide の範疇となり特に区別されるものではありません。このあたりが、誤解を招きやすいところで、「なんで農薬が食品にぶっかけられているんだ!」という話につながってしまいます。
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2、ポストハーベスト農薬のどこが問題? |
プレだとまいてから太陽光や雨風などで農薬は分解します。ポストだとそれがないので農薬は分解しにくく危険だという考え方もあり、これは確かに一理あります。しかし、プレが全部分解している保証はないし、ポストが全く分解していないわけでもなく、結局は食べ物に残留している薬剤の種類と量を分析した結果が最も重要でしょう。そもそも、プレであろうがポストであろうが、どのような薬剤がどれぐらい最終的に我々の口に入ってくるのかが興味の中心であるべきで、ポストハーベストだからダメでプレハーベストなら悪くないというのは乱暴な話です。
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3、ポストハーベスト農薬の安全性は? |
ポストハーベストで使われている薬剤には穀類の殺虫剤としてマラソンやMEP(スミチオン)、果物の殺菌剤(防かび)としてイマザリルやTBZが使われています。平成10年の残留農薬分析結果を見ると、輸入のレモンやグレープフルーツからは50%以上の高率でイマザリルが検出されています。しかし、その全てが残留基準値以下となっており、しかも基本的に皮は食べないので、皮を食べる場合を含めても総合的に口に入ってくる量は微量となり健康に影響するとは考えにくい量となります。
ところで、残留基準値は80年代以降にアメリカの要請がもとで従来の基準値をゆるめたものです。これこそが輸入作物のポストハーベストが最も疑念をいだかれている点ですが、私はある意味当然のことと考えています。もともと日本人はレモンやグレープフルーツなど食べなかったわけですが、今では食卓になくてはならないものとなっています。しかし、輸入するためには船での長旅に耐えなければなりません。みかんなどを箱に詰めておけば青カビがわいて箱の中が全滅することは誰でも体験があると思います。そいつを防ぐためには何か手を打たなければならないわけで、ポストハーベスト農薬を使うことは最も確実でコストが安くエネルギー的にも有利な方法と言えます。若干のリスク増大は招きましたが、どちらにしてもそれほど心配するほどでもなく、おかげでレモンやオレンジやバナナなどを安く食べることができるようになったことの方を喜びたい、というのがたてきの考え方です。
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4、ポストハーベスト農薬を他のものにたとえて考えると |
これは車でたとえれば、日本においては操作性が劣り事故のリスクが高いであろう左ハンドルの車を締め出すよりも、世界のいろんな車を輸入して楽しむために左ハンドルの輸入も認めてしまおうという考えに近いと思います。
また、若干のリスク増大を問題視する必要もあるとは思いますが、基本的に毒性には閾値というものがあり、閾値以下の量ではリスクがないとするのが普通です。これは水深10メートルのプールなら多くの死者が出るはずですが、水深1メートルならまず問題なく、さらに水深1センチなら全く心配ないでしょう。水深1センチのプールを水深3センチにしても溺れるリスクは3倍とはならないことはわかると思います。これが閾値の考え方です。
「食べたら虫が死ぬような穀物を食べさせられている」、、、などといったキャンペーンも見かけます。食べたら虫が死ぬ、、、当たり前です。殺虫剤はそのためにかけてあるのですから。人間に毒性が低くて虫に毒性がつよいから殺虫剤です。「かけたら菌が死ぬような薬を注射されている」、、、医療用抗生物質をこのように表現したら笑ってしまいませんか?同じことです。なぜ、食の分野ではこのような笑い話が大まじめで通ってしまうのか不思議です。
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5、バランス感覚を持ってポストハーベスト農薬を文化としてとらよう |
やはりバランス感覚が重要だということをわかっていただけると思います。ポストハーベスト農薬の基準値が外圧でゆるめられた・・・そんな単純な話ではないのです。日本人の嗜好の変化、経済、農業生産、保存技術、毒性、コスト、海外事情など総合的に判断しなければいけないのです。そして、そのことは最終的には人間の文化としてポストハーベスト農薬がどのような位置づけになっているのかを確認することになるのです。その上で必要か必要でないかを判断したいものです。
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