DDTってなんなの?
農薬の中でも虫を殺すものを殺虫剤といいますが、その殺虫剤の中で最も知名度が高いのがDDTでしょう。日本では30年以上前に販売されなくなりましたが、世界の国々では今も使われています。
このDDTが抜群に有名な理由は、終戦直後に進駐軍によってシラミやマラリア蚊の防除のため日本中にまかれたことや、「サイレントスプリング」以降の化学物質論争で常に主役であったことが大きい。また、よく効く農薬として農家の記憶に残っていること、そこから派生してよく効くモノの代名詞的に使われるようになりプロレスの必殺技の名前になったこと(笑)などもあります。
「化学は苦手」という方が多いと思いますが、後の話を進めるためにちょこっとだけ。
DDTというのは「Dichloro Diphenyl Trichloro ethane」の頭文字をとったものです。化学構造式で書くと、下の通り。
Clは塩素ですが、化学構造に塩素がたくさん入っているのがDDTの特徴です。
DDTの誕生
DDT自体は 1873年に合成されていたそうです。 1930年代になってスイスのガイギー社のミュラーを中心とする研究グループは繊維の防虫剤を研究する課程でDDTに強い殺虫性があることを発見して農業用・防疫用殺虫剤として商品化を目指しました。DDTの高い殺虫活性が戦場における疫病の回避に役立ち、兵士の健康を維持できることを知った英米は1943年頃にDDTを工業化し、蚊によって媒介されるマラリアの患者を激減させることに成功しました。このことがDDTを世界に知らしめたきっかけです。
この功績により1948年にはミュラーにノーベル賞が贈られています。
終戦後、日本に入ってきたアメリカ軍はチフスやシラミの撲滅のため、日本人の身体に真っ白になるほどDDTをかけてまわります。街が破壊され衛生状況の悪くなった日本において、数万人規模で死者が出ると予想されたチフスの予防に成功し、1950年代にはチフスは日本では見られなくなりました。このことが日本人にとっていかに重要なことであったかは当時の記事などをみるとわかります。
DDTの力に過大な期待をいだいたアメリカ
DDTの製造には、化学工業から副生してくる塩素を利用するので安価に大量生産できました。DDTという武器を手に入れたアメリカは国内の森林保護を目的に葉を食い荒らすマイマイガや家屋への侵入が問題になっていたファイヤーアントの撲滅計画に乗り出しました。連年、大量のDDTが森林にまかれ害虫による被害は減りました。しかし、決して根絶することはできなかったのです。自然はそんなに甘いモノではありません。そこで、さらなる散布の徹底を目指し、DDTの使用量は増えていきます。
また、カやハエが発生したという些細なクレームにも役所は湖にDDTを流し込むなどの方法で対応しました。住民も害虫問題が解決するので、そのことを望んでいました。
その結果、使用開始から30年の間に全世界で300万トン以上に及ぶDDTが散布されたと推定されます。地球表面全てがうっすらと白くなるほどの量だそうです。
サイレントスプリング
これほど大量にまいても当時の人たちは害が起こるとは全く思っていなかったようです。しかし、ごく一部の生理学者たちは1950年頃にはすでにDDTによる野生生物への影響が出ていることや、魚や鳥にDDTが蓄積されていることに気がつきはじめていました。
これら生理学者と連絡を取り合いながら、大量の殺虫剤散布が野生生物に悪影響を及ぼすことをレイチェル・カーソンは1962年に「サイレントスプリング」という一般向けの書物としてまとめ上げました。カーソンはこれ以前からすでに作家としての名声を確立していたこともあり、ただちに「サイレントスプリング」はベストセラーとなります。この本はDDTを名指しで批判しているわけではありませんが、最も使用量の多いDDTがその後やり玉に挙がったのは当然のことでした。
アメリカ政府はDDTの悪影響をなかなか認めようとはせず、その後長らくの論争となりました。このことにはDDTを製造していた会社の意向もあったと言われています。最終的には
1968〜 1970年代にかけて環境保護庁の設立や、数々の公害防止法案の策定などを行うに至ります。もちろん、DDTなどの大量散布も取りやめとなっています。(一方、このころベトナムで大量の枯葉剤散布がアメリカによって行われています。)
日本は意外と(?)素早くDDTを販売禁止に
日本では昆虫の撲滅を目的としたアメリカのような大量散布は行われていませんでしたが、サイレントスプリングは「沈黙の春」と和訳され、やはり大きな話題となります。殺虫剤の使用方法の違いなどはあまり考えられることもなく、DDTが悪いという風に話が単純化されてしまったようです。そのせいか、世界の中でも先陣を切って1969年には稲作への使用禁止を指示、1971年には全面的な販売停止となりました。
発展途上国では今でも使われている
先進国では1980年頃までには使用禁止となったDDTですが、発展途上国では安価でよく効くことから今でも使われています。また、マラリアを防止するなどの用途には残効の長いDDTが性能的にもふさわしいのです。
DDTの毒性
以上は歴史を述べてきました。日本ではDDTは法律上、その扱いには大きな制限が課せられています。とんでもない猛毒物であるとよく誤解されてしまうのですが、DDTはマウスの半数致死濃度でみると、現在もよく使われている有機リン系殺虫剤マラソンより少し強い程度で、飛び抜けて毒性が強いものではありません。また、発ガン性や催奇形性も指摘されていますが、通常使用濃度での人に対するそれら毒性についても判然とはしていません。環境ホルモンとしてもよくやり玉に挙がりますが、魚類などに対する生殖毒性はあるようですがが、それが環境ホルモン活性によるものかどうかは判然としておらず、またDDT特有の毒性でもありません。
人間の体内にDDTが濃縮されることはたしかで、脂肪組織に蓄積されていることは間違いありません。しかし、一方でそのレベルで蓄積されたからといって人間の健康に悪影響を及ぼしているかどうかは、これまた判然としていません。
実のところ、DDTが人間にどの程度悪影響を与えているのかははっきりしたことはわかっていないように思えます。ただ、「サイレントスプリング」が無くて、DDTを使い続けていたならば、もっと高い濃度で自然界や人に蓄積され悪影響を及ぼした可能性も否定できません。ですから、DDTが使用禁止になったこと自体は正しかったと思います。
DDTの不運
DDTは「安価」「即効性」「残効性」など殺虫剤として理想的な特性を兼ね備えていました。よって、なんのためらいもなく、今にして思えば考えられないほど大量に無邪気に使われてしまいました。そのことが鳥類への悪影響というはっきりした形であらわれてしまい、「特定毒物」などのような悪いレッテルを貼られてしまいました。
もし、現在のように必要な箇所に必要なだけ使うような節度のある使い方をされていれば、こんなに没落することもなかったように思えます。強力な武器を振り回すことが好きなアメリカという国の手に渡らなければ、今でもDDTは生き残っていたかもしれませんが、DDTを目のあたりにすれば害虫撲滅計画を立てる人がでるのも必然だと思うので、どちらにしても早かれ遅かれDDTは没落していたことでしょう。
結局、DDTという化合物が環境で分解されにくく、分解速度以上に人間が散布してしまったことに問題があるわけです。やはり殺虫剤には環境で分解されやすい(易分解性)性質が必要であることは間違いありません。その点、DDTにはその資質が備わっていなかったことは残念ながら致命的であったと言わざるを得ないでしょう。
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